思い通りにならないと愚図るイヤイヤ期の2歳児。共感以上に効果のある2つの声かけ!

1歳後半から思い通りにいかないと愚図ることが多くなってきた我が子。育児本には書かれていない、イヤイヤ期にものすごく効果があった声かけを紹介します。

よく育児本には、「~~したいんだね。でも~~なんだよ」と、共感して言い聞かせるのがよいとか、I(アイ)メッセージがよいとか書いてあります。

※I(アイ)メッセージとは、自分を主語にした声かけ。相手を主語にして「~しなさい」というのではなく「お母さんは、~してくれると助かるな」というような言い方。

コミュニケーションは気持ちのやり取りなので、まずは相手の気持ちを受け止め、自分の気持ちを言おうということです。

しかし、必ずしもこのような対応が気持ちを受けとめることになるとは限りません。

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その1:今すぐやりたいわけではないのかもしれない

ある時、お風呂上がりに何度か水分補給したのに、布団に入ってから「お水のみたい」ということが頻発しました。

そこで、育児書でよくいわれる共感せよ、ということを踏まえて、

「お水が飲みたいんだね。でももう寝る時間だから寝ようね」

と、気持ちを汲み取ったつもりでした。

でも子供はギャー!!泣

そんなある日のこと、また子供が布団に入ってから水が飲みたいと言いました。何気なく、「明日飲もうね」というと、納得したように頷いて穏やかに寝ました。

私は全然子供の気持ちが分かっていなかったことに気づきました。

大人にしてみると、「水が飲みたい」はイコール「喉が乾いた、今すぐ水が欲しい」を意味しますが、我が家のケースは違いました。

そういえば、しばしば水を口に含むのを楽しんでいたことを思い出しました。

寝る直前に「水のみたい」といったのは、また水で遊びたい(今すぐ欲しい、という強い欲求ではない)ということだったんだなと。

「またいつか水を口にいれたい」という欲求に対して、「寝ようね」という回答をされたら気持ちが受け止められていないと感じても当然です。

一生水が飲めないと受け止めたのかもしれません。

それ以降、

「救急車にのりたい」→「乗りたいんだね、でも何かあって乗ることになったら悲しいな」でなく「救急救命士になったら乗れるね」とか、

「おかしが欲しい」→「おかしが食べたいんだね。でも今食べたらお母さん、困っちゃうな」でなく「後で保育園で食べられるよ」とか、

夜に「外に行きたい」→「外に行きたいんだね。でも夜だから寝ようね」でなく「明日、行こうね」とか、

遊んでいて家に帰りたがらない→「あと一回やったら帰ろうね」でなく「また来週やろうね」とか、

子供には危ないことをやりたがる→「やりたいんだね。でも怪我したらお母さん悲しいな」でなく「大きくなったらできるよ」とか、

今はできなくても未来に可能性があることは「できない」「ダメ」というニュアンスは一切出さずに「(いつかは分からないけど)できる」と回答するようにしたら、愚図らないことが多くなりました。

名付けて、未来を肯定する声かけ、です。

それで駄目なら共感して言い聞かせる作戦か、今一度妥協策はないか考えます。

ちなみに「あと1回やったら家に帰ろう」というような声かけは、子供と合意できそうにない場合は言わないようにしています。親が一方的にいっても1回では済みません。言ったことが無視されると、親も愉快ではないです。

そんなときは「そろそろ帰ろうか」という中で、「また来週できるからね」「またやろうね」と繰り返して、子供から「帰る!」と言うのをタイムリミットまで待ちます。

もう少し大きくなると、「帰らないと困るよ」というIメッセージ(親である自分を主語にした命令調でない話し方)で伝えるのもいいかもしれませんが、多くの2歳児には響かないでしょう。

タイムリミットになったら、「もう帰る時間だ」ということを毅然と伝え、それでもダメなら強制連行です。

一方で、欲求が「いますぐ!」の時もあります。

休日の散歩は子供が行きたい方角に行くようにしていましたが、ある時、保育園に行く途中にも「あっち!」と、あさっての方向に行きたがりました。

「お休みの日にいこうね~」といったのですが、

ギャー!!泣

その日は強制連行。

その翌日も。

なんとかせねばと考えました。

もともと1歳前半の頃はさ迷い歩きながら、5分の道を30分近くかけて通っていたんだから、急ぐことはないと。

歩けるようになってきて、効率を求めすぎていました。

それで、「あっち!」をなるべく尊重して遠回りすると機嫌よく保育園にたどり着くことができました。

どうしてもダメな方角の時は、未来を肯定する声かけ「お休みの時に行こうね」作戦で大丈夫でした。あらかじめ何度か意思を尊重すれば、こちらの意見もすんなりと受け入れられるようでした。

その2:みんなと同じに

「未来を肯定する声かけ」に続くテクニックは、「みんなと同じ♪声かけ」です。

2歳頃になると、理解力がついてくるので、言い聞かせることができるようになってきます。

でも、子供の心に響く言い方をしないとダメです。

例えば帽子をかぶるのを嫌がるときに、「まぶしいよ」とか「かぶるとかっこいいよ」とか「保育園ではかぶるルールになってるんだよ」と言っても無駄でした。

その他には、「野菜を食べると元気になるよ」とか「そんな格好だと風邪引くよ」とか「オムツをかえるとすっきりするよ」とかも無駄です。

子供にとっては、

そんなの関係ねぇ!オッパッピー

状態。

ところが、「Aちゃんも帽子をかぶっているね。」「Bちゃんも」「Cちゃんも、みんなかぶっているよね!帽子かぶる?」というとあっさりかぶってくれました。

「うんちしたらみんなオムツをかえてるよね?●ちゃんもかえてみんなと同じにする?」というと素直にかえさせてくれ、終わると「同じ!」と言っていました。

子供は、他の子と同じであることに対して強い欲求があります。

なぜなら、野生児の赤ちゃんが社会に適合するには、ロールモデル(大人ではない!年長や同年代の子供)を模倣しなければならないからです。

子供が異質なものを排除しようとするのもそのせいです。

だから子供は仲間と違うことをものすごく嫌がります。

親や教師がユニセックスに扱っても、子供の方が女の子、男の子のあるべき姿にこだわると言われています。

話はずれますが、大人にとって「友達がみんな持っている」というのは、何かを買う正当な理由と思えませんが、子供にとってはそれが理由のほとんど全てなんです。(なので我が家はそういう場合は出来る限り買ってあげるつもりです)

みんなと同じじゃつまらない、個性を大事にしたい、固定観念に囚われるべきでない、というのは全て大人の感覚です。

大人になると、実は個性は強まります。友達と同化しながら社会に適合するという過程が終わると、同じであることに対するプレッシャーがなくなるからです。

大人はすでに社会に馴染んでいるからこそ、社会に逸脱しない範囲で個性を出せるし、他人の個性も尊重できるのです。(ただし、大人になっても同調性が全くなくなるわけではなく、子育て中にママ友に影響を受けた覚えがある人も多いはずです)

伝統芸能のように、まずは模倣で型を学び、一度習得したら崩したり、個性が開花するようなものです。

子供が他の子供の影響を受けることなく育つと社会に適合できない可能性が高いです。

友達とのつきあいを許されず英才教育をさせられた子供は、どんなに大人がフォローしても社会性が育たないことが知られています。

「お友達と同じ」「普通でありたい」は、子供が求めることなんです。普通を経験することによって、社会に適合するのです。

だから、子供が気づいてなかったら、「みんなはこうしているよ、どうする?」と聞いてあげると子供は助かります。

その時に「みんなやってるのに、やらないなんておかしい」「笑われちゃう」というように、子供をバカにしたり、辱しめてはだめです。

子供とのコミュニケーションの基本原則は、他人に言っても失礼でない接し方をすることです。

例えば、引っ越してきたばかりで地域に馴染みたいお隣さんが、近隣で開催されるイベントに行こうか迷っている場合に、

「ご近所さんがたくさん参加するので、よかったらどうですか」というのは全く失礼ではありません。

しかし、「ご近所みんな行くのに行かないなんておかしい」とか「みんな行くのに、行かないなんて愚かですね」「みんな行くから行くべき」などと言ったら失礼ですよね。

友達と同じであるべきこと、例えば社会でそうあるべきこと、保育園や幼稚園などのルールは、お友達作戦の効果が期待できます。

家では自分で着替えないのに保育園で着替えるのは、保育士さんの力量もありますが、どちらかというとお友達や年長の子供を真似るからです。

ただし、子供たちも何もかも友達と一緒というわけではなく、違ってOKの分野もあります。

また、個性や個人の選択、成長具合が尊重されるべき分野にはこのような声かけは不適切です。

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